昨日3月25日は平将門の命日でした。旧暦では天慶3年(940年)の2月14日です。茨城県坂東市で藤原秀郷と従兄弟の貞盛により討死した後、まさかど様の首は京都に運ばれて晒し首にされます。日本での晒し首はまさかど様が史上初だったらしい?
京都で晒し首にされている間、夜な夜な首が発光しただの、体はどこだ〜また戦おうぞ!など声を上げて人々を恐怖に陥れ(せつない?)、とうとうまさかど様の首は京都から関東に向かって飛び立ち、力尽きて落ちたのが画像の大手町の首塚の場所だと言われています。正直なところ、首が飛んだって…?しかも力尽きたって…どうせならまさかど様ならちゃんと目的地(多分茨城)まで根性で飛びそうなのに?
京都から首が飛んできて落ちてきたという話を信じている人は正直なところいないと思うのですが、何故この大手町のこの場所がまさかど様の首塚として残っているのかなと思います。茨城県じゃなくてなぜ東京のど真ん中なのかな。どういう経緯があったのかな。祟り伝説も色々ありますが不思議な場所だと思います。
現在、この首塚は工事中です。去年12月に訪れた時に突然入れなくなっていて驚きました。今年の神田祭が行われるはずだった5月までに改装工事が終わるそうですが、どんな感じになるのか楽しみです。話によると緑豊かな皇居に呼応するかのような空間になるとか。


工事が始まってから2回ほど行きました。5センチほどの隙間から中を覗き見てみると塚が既に取り払われており、2回目に行った時は上の画像のように右側に衣装ケースがポツンと置かれていました。この衣装ケース、何が入っていると思いますか?首塚に置かれていたカエルの置物が入っていましたよ。丁寧に全て扱われていますね。
これまで首塚に行くと近隣の会社員の方っぽい女性が熱心に掃き掃除をしていたり、水を撒いたり、掃除をしている方をよく見かけていました。その方達もきっと新しい首塚への改修工事が滞りなく完了するのを待っているでしょうね。私も帰国して新たにリニューアルした首塚を訪れるのが楽しみです☺️
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